スンガリー飯店と町中華が倒してきた食堂のこと(後)

2015.11.25北尾トロ記

ここから先は本来ならじっくり調べて書くべきところで、妄想や推論の域を出ないが、覚書のつもりで記しておくことにする。
食堂と町中華の関係については、MCT活動を始めた頃から頭にあった。町中華を訪れるたび、デジャブみたいな感覚があり、この感じは何かに似ていると感じていたのだ。
全盛期があり、高齢化があり、時代の荒波にもまれ、気がつけば数を減らし、少なくなったがゆえに希少価値が生まれる。町中華は今後、そういう路線を歩むかもしれない。

その先例として大衆食堂を考えてみたいのである。
大衆食堂とは、和食中心の定食メニューと、小皿に盛られた一品料理を自由に組み合わせて食事ができる飯屋のこと。だいたい、アジフライとかサバの塩焼き、魚の煮つけなんかがあり、納豆や目玉焼き、ハムエッグ、マカロニサラダ、ほうれんそうのおひたし、きんぴらごぼうなんてところが常連だ。
合言葉は<おふくろの味>だったりして、ぼくの世代にとっても古い時代の形態に思え、若い頃はあまり行かなかった。それでもたまに行ったのは安かったからだ。月末の金のないとき、納豆と中ライス、味噌汁で200円未満はありがたい。そんな儲からない学生客に、店のおばちゃんは優しかった。九州育ちのぼくが納豆を食べるようになったきっかけは金欠時の食堂だ。

二十歳前後、中野に住んでいた頃に、「やしろ食堂」という食堂チェーンが界隈で勢力を伸ばしたことがあり、やはり納豆とか冷奴を食べていた。1977~78年あたりだ。ぼくにとっては「やしろ食堂」こそ、食堂チェーンのさきがけである(いまでも見かけることがあるので規模を縮小して生き残っているのだろう)。
70年代後半のニューウェーブ「やしろ食堂」が、90年代以降は女性客という新ターゲットを得て、サバイバルに成功し、「大戸屋」に代表される和食系食堂として全国展開するようになったのが食堂チェーンの流れだ。かつてダサかった大衆食堂も、その良いところをうまく受け継がれ、ヘルシーで安心なものへと変化を遂げている。

ただしそれはチェーン店の話だ。
個人経営の小さな大衆食堂はどんどん姿を消していった。すでに70年代には減る傾向にあったのが、80年代に入ると加速し、駅前再開発などで店を畳むところが多かったはずだ。この商売には先がないよということで、後継者不足の問題もあっただろう。客離れと将来性のなさに、ファミレスを筆頭とするチェーン飲食店の台頭が加わって、大衆食堂はじょじょに居場所を失ってしまったのだと思う。
惜しむ声も大きくはなかった。少なくとも20代だったぼくが、雑誌などで目にした記憶はない。大衆食堂がノスタルジックに語られだすのは90年代以降だったろうし、取り扱い方は絶滅危惧種を見る眼付きだった。いまどきこんな…というやつだ。

2000年代初頭、ぼくの仕事場がある西荻窪には4軒の大衆食堂が存在していた。気がつくとひとつ減り、またひとつ閉店し、最後のロンドン食堂がなくなったのが6、7年ほど前だったろうか。どこもいい雰囲気だったしファンもいたけど、若い客がいない。後継者がいない。長年やってきて、そりゃ老後はゆっくりしたくもなっただろう。
古い店が消えても新しい店はできず、代わりに、駅前に大戸屋ができた。個人経営の食堂は、名前だけ食堂となってて、実際にはナチュラル路線といいますか、カフェ的な店ばかりだ。

振り返ると、大衆食堂のピークは昭和30年代から40年代までではなかっただろうか。
大衆食堂の持ち味は、家庭的な味つけや雰囲気が廉価で楽しめる点にある。厨房は男がやってたりもするが、店を切り盛りしているのは女性であることが多かった。
町中華の人気が高まるのは昭和30年代あたり。ピークは昭和40年代後半から50年代と、大衆食堂の後を追うような存在だった。本当は、大衆食堂と町中華がいずれも大繁盛したのかもしれないけれど、大衆食堂は80年代の好景気前に下火になってしまった。

1950   1960    1970    1980       1990    2000
大衆食堂ーーーピークーー衰退期ーチェーン登場ー衰退期ーー全国チェーン
   町中華ーーーーーーーーーーピークーーーーーー衰退期ーーーー全国チェーン

大衆食堂全盛期は町中華も伸びた時代。どちらも町に根づいた庶民派の飲食店だった。あとは蕎麦屋があって喫茶店があって、赤ちょうちん、スナック。
両者が激突したのは1960年代だろうか。上り調子の町中華が、高カロリーとボリュームにものを言わせて、食堂の男性客を奪っていったのだろう。人々が求めるものは家庭の延長ではなく、外でしか食べられない味。その欲求を満たすのは町中華のほうだった…?

そのあたりは今後の研究課題だ。
大衆食堂ほど極端に減ってしまうことはないにせよ、町中華が今後、数を減らしていくことは間違いないと思う。MCT活動をしていると、ネット情報を頼りに足を運ぶと閉店していたということはよくあり、危険水域に入りつつあることが実感できるのだ。
ノスタルジーではなく、現在進行形のレポートをし、町中華という食のカテゴリーから時代の様相を記録&読み解いていきたい。
方法としては、いまのところ「残り方」というアプローチが有効ではないかと考えている。

ABOUT ME
北尾トロ
北尾トロ(きたお・とろ) 1958年、福岡県生まれ。法政大学卒業。裁判傍聴、古書店、狩猟など、体験をベースに執筆するライター。『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』『猟師になりたい!』シリーズなど著書多数。長野県松本市在住。