人形町の「喫茶大勝軒」に取材のため伺った。
ここにくるのは2度目か3度目。
同名のつけ麺店とはまったく関係がなく、
こちらのほうが断然古い。
創業はなんと大正2年。
記録が残っていないため、
遅くともこの年には
営業していたということらしく、
もしかしたら明治の創業かもしれない。
というのも、前年の大正元年、
明治天皇の大喪の夜に自刃した
乃木希典(乃木大将)が、
屋号を書いているからである。
「大勝軒」という名称は、日露戦争に
大勝したことからつけられたそうだ。
創業当初の写真には
「支那料理」と書かれていて、
けっこう高級な店だった。
福建省出身林(リン)さんという方が
味の基礎を固め、伝授したという。
そこから始まる大勝軒の物語は
写真などかぎられたものから
後追いするしかないのだけれど、
日本橋大勝軒など、いまも残る
のれんわけされた店の存在を考えると、
やはり町中華の源流の一つといえるだろう。
1 「大勝軒」に代表される、戦前からの支那料理の流れ
2 戦後混乱期に中華店になった食べ物屋の一群
3 地方からの上京組が始めたラーメン屋を祖とする一群
4 満州帰りの人が始めた中華店
僕はこの4つを、町中華のルーツとして考えている。