MCT@押上 町中華トライアングル地帯を往くその2 甘太樓編

炎天下
7/10(金曜日)、参加隊員は、トロ、マグロ、竜、半澤
マグロ隊員は「復興軒」へ、竜隊員は「ありあけ」へ、トロ隊長と半澤は「甘太」と
3店舗を制覇したのはマグロ隊員の記事の通りだが
今回は甘太を中心に今回の探検隊について振り返りたい。


マグロ隊員も書いてらっしゃる通り、ここは交差点を挟んで
3店舗の町中華が並んでいる。目と鼻の先に歴史ある同業者が
当然のように顔を合わせているのだ。正にトライアングル地帯。
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復興軒越しに見える甘太
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そして交差点の逆側に目を向けると、ありあけが
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名前に惹かれ、半澤はトロ隊長と共に甘太へ。
気になったのは名前だけじゃない。
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“実力派”であることが伝わってくるメニューが胸熱だったのだ。どれを頼んでも美味しい予感。

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果たして予感は当たる。
tori鳥ゴハン 880円 
コレは他にはない! 揚げたゴロッとした鶏肉と餡がほどよくからみ美味、海老ゴハンは海老湯がいたものに餡をからめるのだそう。それもうまいでしょうなあ

ra-mensetラーメン+半チャーハン850円
うずらの卵トッピングがなんとも上品。細麺でスルスルいけました。

そして何より素敵な発見が!
「どうして甘太なの?」トロ隊長の質問に
「昔、菓子屋だったんですよ。あっちのガード下でね」と親父さん。
なるほど! お菓子屋さんの名前を踏襲したから「甘」なんだ。「」もなるほど昔の菓子屋の名残
腑に落ち過ぎて興奮してしまう。
「何年くらいやられてるんすか?」の問いには
「4、50年」とひと言。
ここまで歴史あると、ザックリ10年サバを読んでもかまわない気がしてしまう。

トロ隊長やマグロ隊員の話によると
戦後お菓子屋は大もうけした時期があったのだそう。
甘いものが貴重で、みなが買い求めていたのだ。
その後、中華店ブームが到来する。それが確かに4、50年前
つまり、甘太楼さんは時流に乗りまくって超長期間、店を守ってきたというわけだ。
菓子屋からの転身もスゴいし名前そのままというのも面白い、
そして今は三代目。地に根付いて、確かな地元ファンを獲得しているのだ。

トライアングル、
“3”という数字を見るとつい三国志を想像し対決構造を勝手にみてしまっていたが違う
3店舗それぞれが顧客を獲得し、長い歴史を築いているのだ。
「スカイツリーできて変わったでしょ?」というトロ隊長の質問にも
「こっち側は裏側だからあんまり関係ないね」と、はにかんでいた親父さんの言葉が
胸に沁みた。
押上、業平が観光地化で沸いている中
“普段通り”を通し、地元民と歩み続けるこのお店の姿勢にこそ町中華をみる。

半澤、今回は激務のさなかでの探検だった。
1分1秒が惜しい日程だったが、押上まで行ってよかった
竜隊員とも話していたが、
完全に「精神安定としての町中華」
今もけっこうキツ目の日程、数時間後に〆切が迫った案件があるが
精神安定のために、遅ればせながら書かせていただきました。

文/半澤則吉

■甘太
東京都墨田区向島3-46-1303-3622-8932

月曜〜金曜 AM 10:30 ~ PM 8:30 (L.O / PM 8:00)  出前あり(配達はPM 1:00〜)
PM 3:00 ~ PM 4:30は準備中
土曜日はPM 3:00まで、
日曜営業

情報は食べログより 転載

↓隊員による補足(北尾)

ありあけ、甘太楼、復興軒の業平橋トライアングルは、
半澤隊員も書いているように敵対する関係ではない。
なぜか。
住民の動線は交差点ひとつで変わるのであり、
各店舗は基本、動線上にいる客を相手に商売をしているので
それほど奪い合いにはならない…というのは今の話で、
界隈にもっと多数の店があったら激戦区ではあるよね。
というか、あったはずだ。
つまり 現存する、ありあけ、甘太楼、復興軒の業平橋御三家は
地域の勝ち組、サバイバルの成功した優良店だと考えられるのである。
そしてトライアングルが残った。
我々は現役3店舗のみ目にしたからライバル関係を想像してしまうが、
各店のうしろには、かつてこの地で営業し、いまは姿を消した
幾多の店がある。
探検隊の活動をしていると、そうしたものも
目を凝らせば見えてくる、ような気がする。
いわば地層。
ありあけの地面の下には同じ動線上に存在したいくつもの店が層をなしているのだ。
それらを九州系を前面に出したこの店が乗り越えていった。
我々3Dメガネをかけるように、
かつて存在した店へも思いをはせねばならないだろう。
でないと、いまある店のデータはわかっても、
本当の凄味を理解できないからだ。

甘太楼は元和菓子屋。
戦後の開業で、1960~70年代くらいまで
ガード下に店を出していたという。
この転身が見事だ。
菓子屋とラーメン屋ではまったく違う。
勉強し直して、つまり出直したわけだ。
ぼくは母の実家が和菓子屋だったので想像できるのだが、
菓子舗はスーパーなどの安い和菓子に押されながらも、
80年代まではなんとかやれた商売である。
バブル期には銀行も金を貸したがったしね。
 甘太楼が1960~70年代、そんなに困っていたとは思えない。
が、あがり目なしと読み、商売替えをしたのが町中華だった。
ということは当時、町中華は勢いがあったことになる。
高度成長期が終わりを迎えつつあり、ぽつぽつチェーン店も
出てきた頃だったけど、菓子舗より将来性があると踏んだ。
ここがおもしろいポイントで、今後の調査にも生かせそうだ。

ABOUT ME
半澤則吉
半澤則吉(はんざわ・のりよし) 1983年、福島県二本松市生まれ。学習院大学卒業後、印刷会社勤務を経てフリーライターに。人・食・物・旅についてあらゆる媒体で執筆する。朝ドラを中心にドラマ記事を書く朝ドラ批評家、ドラマライターでもある。