いっぽんどっこの町中華 幸来@稲荷町

町中華は基本、“いっぽんどっこ”である。
昭和歌謡によく出てきた、いっぽんどっこ。有名なところでは水前寺清子の『いっぽんどっこの唄』だ。「ぼろは着てても こころの錦」という歌いだしだといえば、わかる人も多いかもしれない。

 漢字で書けば、一本独鈷。もともとは仏教用語なんだそうだ。いろいろな意味があるけれど、そのひとつに独立独歩、自分の裁量だけで生きていくというのもあるそうだ。

近くにある町中華『幸来』さんも典型的ないっぽんどっこ店だ。昼時、イングレスをしながら歩いていると、表に出ていた店主と目が遭った。最近の彼は敬礼式の挨拶をしてくる。どこで昼飯を食おうかと迷っていたのだが、思わずお店のの方向へ。お昼過ぎで、運よくほかの客がいなかったので、入ってみた。
女将さんに、「ランチお願いします」と注文。
おやじさんは、知り合いがいたのか表で少し立ち話をしていた。
店に戻ってくると、さっそく調理に取り掛かる。
料理を提供しながら
「最近、ゲームやってんの? ケントの息子と?」
と聞いてきた。
実は、ここのおやじさんともよく近くの路上で逢う。たいてい僕はイングレスをやっているんだけれど、「なにやってんの?」と訊かれ、「陣取りゲームをやっているんですよ」と答えていた。それが、最近、近くにある喫茶店『ケント』さんの息子もイングレスをやっていて、敵陣営だということがわかり、おやじさんに「なにやってんの?」って聞かれると、「ケントの息子と戦っている」と答えるようにしている。
だから、ケントの息子とはどう? っていうことになるのだ。食べながら「いやぁ、やられっぱなしですよ」と答えた。まあ、やられっぱなしというわけではないけど、とりあえずそう答えると、おやじさん、表情が変わった。
「遊びでもなんでも、負けたらダメなんだよ、勝たなきゃ」
と言うのだ。すかさず、
「おやじさんも、長年、ここで商売やってきて、勝ち続けてきたんですからね」
「ああ、34年だからね」
「その間、ずいぶんいろいろな店が開店していっては、店を閉めていったんじゃないですか?」
「ああ、そうだね。このあたりで、もうウチなんかずいぶん古いほうだよ。ウチより先にあったのは、そのケントさんだね。その2、3年後かにダックさんが店を始めた」
 ダックさんというのは、煙草とコーヒー豆を売っているお店。コーヒーも飲める。
「美春さんは?」
 美春さんというのは、焼き鳥を売っているお店だ。
「ああ、あそこは古いよ」
「今のご主人は二代目ですよね」
「うーん、二代目かどうかはわかんないけど、先代のおやじさんは、おれがここにきて、2年目でなくなってさ、あの家(店と家がいっしょになっている)で葬式やったんだけど、当時、俺、川崎に住んでたから、喪服を取りに帰れなくて、このままのかっこうで葬式行ったんだよ」
へえ、そんなことがあったんですね。
「あそこも、娘しかいないから、継がないんじゃないかな。うちもそうだけど、うちも娘だけなんだよ」
「お孫さんが男の子できたんでしょ、幸来さんは。じゃ、お孫さんに託すんですか? いい商売ですからね」
「いい、商売じゃねぇよ。はははは」
「アイスコーヒー飲む? 嫌いならあれだけど」
「大好きですよ、タダですか?」
「そりゃ、タダだよ、こんなんで金取らないよ」
「ケントさんは、コーヒー頼んだら金取るんですよ」
「バカ、そりゃ、当たり前だよ、喫茶店で、コーヒー売るのが商売だから」と言いながら大笑いしてくれた。
「それにしても休みませんよね、幸来さん」
「休む時は休むよ、知り合いの結婚式だとか、不幸があったりとか」
「でも、ここ、お店にいるときがいちばんいきいきとしてますよね」
店にやってくるときに自転車にのったおやじさんに遭遇したり、ケントさんでコーヒーを飲んでいるおやじさんにも遭遇するが、店にいるときはいちばんいきいきしている。
「まあ、休みで家にいてもなんだか落ち着かないんだよね」
わかるな、おやじさん、けっこう多動性障害というか、店でもじっとしてなくて、出たり入ったり、表を歩いたりしている。そうすると、いろんな人に会う。そして、二言三言話をする。
まさに土着中華であり、いっぽんどっこのお店だ。
■幸来
10-0014 東京都台東区北上野2丁目3−1
11時~午後10時ごろ
定休日 日曜日の午後から夜
 

ABOUT ME
下関マグロ
下関マグロ(しものせき・まぐろ) 1958年、山口県下関市生まれ。桃山学院大学卒業後、出版社勤務を経てフリーに。北尾トロ、竜超と共著で『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』(角川文庫)。CSテレ朝チャンネル『ぶらぶら町中華』にトロと出演中。