光陽楼@三ノ輪

町中華にとって、重要な要素に“のれん分け”がある。

同じ名前のお店は、だいたいがのれん分けだと思っていいだろう。

前からに気になっていた三ノ輪橋の光陽楼さん。

光陽楼といえば、堀切菖蒲園の中華パーラー光陽楼が思い出される。
そして、鶯谷駅と入谷駅の間にある町中華遺跡にも光陽楼というのがあった。

いつかは行かねばと思いながらもなかなか行けなかったけれど、今回、思い切って入店。

まさかの、入ってすぐの座敷でご主人らしき人は横になっている。
あ、休憩かと思ったら「どうぞ」と言われる。

味があるのか乱雑なのか手書きのメニュー。

いかにもというかんじのメニューか。あ、チャンポンがあるね。
ここは、チャンポンでしょう。

どんなのが出てくるか、わくわく。
きたー、まったくチャンポンじゃない。

ちょっとスープが白濁してるけど、飲んでみると、摩訶不思議な味。
湯麵の塩味に近いけれど、少しまろやかかな。
ごま油も少し入っているか。

野菜たっぷり。お肉もあるね。

他にお客さんもいないので、食べながら店主に話をうかがった。
まず、鶯谷と入谷の間にある光陽楼について聞いてみた。

「あれは、南千住のお店の長男のMさんがやってらっしゃったんだけど、亡くなって、それからそのままなんですよ。もったいないね」
とのこと。こちらの光陽楼も南千住で修業されたかなんかなんですか?
「うーん、まあ、昔でいうのれん分けだね。まー、その、昔の話で。パパの世代だから」
えっ、二代目なんだ。かなり高齢なので初代の方かと思ったよ。
二代目かどうかうかがうと、
「いやぁ、そんなにいいもんじゃないけど、まあ、二代目だよね。ハッハハ」。
こちらはいつから?
「昭和37年からやってます」
それは先代がここへ?
「そうです、まあ、あの頃は今と違ってね、ハッハハ」

メニューは今と同じですか?
「いやぁ、そりゃ、ずいぶん変わったよ」

ですよね、味噌ラーメンやチャンポンなんて、まだ昭和37年じゃね、ないですよね。

と、あれこれ話しながら核心の質問。
麺がチャンポンっぽいけど、これ、一般的な長崎ちゃんぽんとは違いますね。
ちょっと困惑した表情だが、すぐに
「たぶん、もうひとりのほうが、おいしいから」
とのこと。
このあたり話が分かりずらかったが、要約すれば、
夜、8時くらいから息子さんがやっていて、そちらのほうが、
具材なども本物のチャンポンに近いのだと言う。

それにしても、三代目がやってくれているなんて、幸せじゃないですか、と言うと
「そうだね、なかなかね、まあ、よかったよ」
とのこと。700円を支払い、店を出た。

帰り道に思ったのは、たぶん、町中華で出される「チャンポン」は
どこもズレているのではないかと思う。
ここだけじゃないだろう。
まず、スープができそうもないし、具材もチャンポンのものをそろえるのは大変だ。

それにしても昭和37年創業で、今日までで3代なのか。次のオリンピックまでも大丈夫そうだ。

帰り道、もうひとつの光陽楼を見た。遺跡だ。

ABOUT ME
下関マグロ
下関マグロ(しものせき・まぐろ) 1958年、山口県下関市生まれ。桃山学院大学卒業後、出版社勤務を経てフリーに。北尾トロ、竜超と共著で『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』(角川文庫)。CSテレ朝チャンネル『ぶらぶら町中華』にトロと出演中。