団地中華に流れる時間  (戸山ハイツ「豊華飯店」)

団地。

集団住宅地。公営の集合住宅。
昭和の住文化を語る上で、団地の存在を無視することは困難でしょう。

1950〜60年代、団地住まいは庶民憧れのモダンな生活スタイル。「団地族」という流行語も生まれました。
私が子供時代を過ごした1970年代にはもうそのように華やかなイメージはなくなっていたように記憶しますが、それでも団地には若い家族や子供達がたくさんいて、私も同じクラスのA君やS君が住んでいた霞ヶ丘団地(残念なことに、新国立競技場の用地拡大のために取り壊しになりました)に遊びに行ったものです。

大規模な団地の1階は商店街になっていることも多く、食料品店や煙草屋や理髪店や衣料品店などが軒を連ねているのもお馴染みの光景。もちろん!忘れてはならないのは飲食店です。蕎麦屋や喫茶店、そして中華料理店も!団地の町中華。「団地中華」です。

しかしながら、そのように活気があったのは昭和の頃の話。平成も終わろうとしている今、団地は建物老朽化と飛び抜けた住民高齢化が問題となっています。ここ数年、仕事や用事などで団地を訪れたり近くを通ったりすることが何回かありましたが、その風景に言い知れぬ不安を感じてしまうくらい寂れ果てた印象が残りました。

今回、団地中華の調査を思いたち、町中華探検隊の皆さんに声をかけたのは以上のごとき背景を考えたからです。ただでさえ、店主高齢化と後継者不在で絶滅が危惧される町中華。その中でも、住環境そのものが高齢化して寂れてしまっている団地に付設された町中華は今どうなっているのだろう?今後、どうなってしまうのだろう?団地中華も今のうちに記録しておかなければならない!

・・・というわけで平成30年9月7日、町中華探検隊は団地中華のMCT活動へと赴きました。目的地は新宿区の都営戸山ハイツ。参加メンバーは北尾トロ隊長、下関マグロ副長、増山かおり隊員、コヤマタカヒロ隊員、そして私、八百谷匡夫。

戸山ハイツは東京でも有数の大規模な団地、いわゆるマンモス団地です。
その歴史は古く、1949年に遡ります。当初は広大な旧陸軍跡地に1062戸の木造平屋住宅が立ち並んでいたのですが、1970年代初頭に高層および中層の集合住宅に建て替えられ、現在の姿となっています。緑豊かな人工の山、「箱根山」を囲むようにして35棟が建ち、住宅の数は実に3683戸。居住者は約6000人ですが、50%以上が65歳を越えた高齢者です。

↑豊華飯店。

広大な戸山ハイツはエリアによって下車駅が違ってきたりするのですが、我々が向かったのは大江戸線若松河田駅から歩いて数分のエリアにある「豊華飯店」。高層棟の1階商店街にあり、両隣は郵便局とスポーツ用品店兼煙草屋です。外から見ると非常に暗いのですが日曜以外はちゃんと営業してまして、入り口を開けると巨大なモンチッチがお出迎えしてくれます。

やや細長いテーブル席フロアと円卓2つの小上がりがあるのですが、この日は先に現地入りしていてくれた増山さんの手配で小上がりへ。かなり広めのキッチンでは高齢のご夫婦が忙しそうに調理していて、フロアに注文を取りに来てくれるのはエキゾチックな風貌の(たぶん外国から来た方だと思います)女性です。

↑小上がり。

豊富なメニューを皆で見ながら迷うことしばし。
コヤマさんが注文したのは「骨付ごはん」(←重要メニューなので後述)、増山さんは揚げた白身魚の定食、マグロ副長は冷やし中華、トロ隊長はワンタンメン。
そして私が注文したのは「麺入り味噌味水ギョーザ」↓。

↑餃子がゴロゴロ。

運ばれて来たのは、モヤシと挽肉が入った普通の量の味噌ラーメンに水餃子が6個もトッピングされた料理。「水餃子乗せ味噌ラーメン」と呼びたくなってしまうところですが、あくまでもこれは「麺入り味噌味水ギョーザ」。麺ではなくて水餃子がメインという扱いなので、メニューの「麺類の部」ページには載っていません。

↑ 麺入り味噌味水餃子を撮影する八百谷。

メインなだけあってこの餃子、中国人が好む本場の水餃子のように皮が厚くてとてもおいしい。これならば是非焼き餃子も食べてみたい!と思わせる味でしたが、量がかなりガッツリなので餃子を皆さんに試食してもらいながら完食。

麺入り味噌味水ギョーザも個性的ですが、コヤマさんが注文した「骨付ごはん」もなかなか個性的な、このお店の名物料理です↓

↑スープと漬物もついてくる。

「骨付ごはん」。
名前からはどんな料理か想像もつきませんが、これはあんかけ排骨野菜炒めかけごはん。中華丼をパワーアップしたような料理で、普通の豚肉の代わりにカレー風味の下味をつけて揚げた大ぶりな豚バラ肉が入っています。そして、「骨付」という名前ながら骨はどこにもついてない!

突っ込みたくなる名前ではありますが、これは別にふざけているわけではなく、中国語の「排骨飯」の直訳かと思います。
「排骨」とはスペアリブ、骨付きバラ肉のこと。本場の排骨は文字通りアバラ骨がついた状態でカレーっぽい風味をつけた揚げ物として供されるのですが、日本の町中華で「パイコー飯」や「パイコー麺」にトッピングされる肉には骨がついていません。
「骨付ごはん」という名称は、「パイコー飯」などというわかりにくい名前を避けて「排骨飯」をとても実直に和訳した結果なのではないかと思うのです。

↑これは私が別の日に食べた「骨付そば」。つまり排骨麺。やはり骨はついてない。

そんなこんなで、けっこうしっかりした実力派な料理とちょっと変わったメニューが魅力的な「豊華飯店」にて楽しい時間を過ごした我々は、かつてこの近くに住んでいたマグロ副長の道案内で戸山ハイツの反対側、戸山ハイツ西通り商店街へと移動しました。

↑戸山ハイツ西通り商店街裏を歩く隊員達。

大江戸線東新宿駅に近いこちらの商店街は、「豊華飯店」がある東側の商店街と同じく高層棟の1階にあります。そしてここには「紅龍飯店」という町中華があったはずなので確認に赴いた我々だったのですが・・・残念ながら、実に残念ながら廃業・閉店!つい最近閉店してしまったようで、白く塗られた看板にうっすらと屋号が透けて見えました。悲しいことだけれども仕方ない。やはり町中華の記録は急務だと、改めて実感いたします。

↑「メルヘン」。団地の人気店。

気を取り直して油流しへ。マグロ副長の案内で入ったのは商店街で唯一残った喫茶店「メルヘン」。とても愛想がよく笑顔が素敵なおばちゃんが迎えてくれるこのお店、お客さんでいっぱいの人気店です。カウンターに陣取ったおじいさん達の世間話を聞きながらいただくコーヒーは格別の味でありました。

↑戸山ハイツ中層棟。

今回、団地中華を記録するMCT活動に参加し、自分でも少々驚いたことがあります。
それは、巨大団地の「寂れっぷり」に対する何とも言えない不安な感覚がなくなり、むしろその独特の雰囲気を快適と思っている自分に気づいたこと。

一部では「都心の限界集落」などと失礼なことを言われ、「心霊スポット」などという無責任な噂も流れている戸山ハイツ。でも、決してそんなネガティブな場所ではありません。「豊華飯店」も、中層棟の間を縫うように歩く団地内の道路も、「メルヘン」も、(良い意味で)世界から忘れ去られたような静かでゆっくりとした時間が流れるところなのです。

アンケートによりますと、戸山ハイツ住民の91.5%はこう言っているそうです。
「ずっとここに住み続けたい」と。