貸切で聞いた女一代記@大塚「女川」

今回の大塚アタックは6名が参加。
初参加のあきさん、田中ひろみさんも含め男女半々で
満開の桜をめでたりしながらエリア探索した。
大塚はチャイナ勢力が強く、町中華は押され気味だ。
とくに駅周辺では影が薄く、わずかしか発見できない。
チャイナについては隣接する池袋エリアからあふれた
勢力やチェーン店がしのぎを削っているように見えた。
駅からやや離れたところにあるポツン店を発見。
「女川」(おながわ)である。
これは宮城県の地名であろう。
店主の出身地か。
惹かれる。
中を窺うも電気がついておらず無人。
皆は他の店へ行くという。
そこに、店主らしき女性が自転車で戻ってきた。
犬を連れ、かごにはネギが入っている。
それを見て、皆はいよいよ他店に行く気持ちを固めたようだ。

ひとりで入店したら、さっきの犬が迎えてくれた。
写真のような席が2宅と、カウンター5席ほどの小さな店だ。
1席は犬用になっていて生活感がある。
何か圧倒された感じでカウンターに座り、メニューを眺める。
ラーメン類、炒飯など種類は少ない。定食は2択。
半チャン+半ラーメンのセットを頼むと、
すぐできるのは炒飯だよと言われ、素直に従う。
ここまで、悪い予感しかしなかった。
が…。

 炒飯、旨し(このあとスープが出た。550円)
科調なし、量少な目の家庭的な味だ。
客はぼくしかおらず入ってくる様子もない。
自然、会話が始まる。
「女川」は女将さんの出身地で、この店は37年前の開店。
ご主人が製麺会社に勤めていた関係で「ラーメン屋がいいんじゃないか」と
考えたという。とくに修業はしてないと思えた。
1979年あたりは町中華がバンバン増えていたころだ。
でもご主人と一緒にやったわけではない。
「主人の弟に手伝ってもらったときもあったけど」
酒好きで、あんまり働き者ではなかったらしく、ひとりで切り盛りするように。
女将さんは75歳で、よくしゃべる。
犬は娘が飼っていて、昼間あずかっているそうだ。
預かり犬だと保健所もうるさいことは言わないのだとか。
「孫もひ孫もいて、おばあちゃん、いつまでも働かなくてもいいのにと言われるけど
店やめたら老けるし、馴染みのお客さんと話すのが好き」
とまあ、よくある感じの雑談をしたのだが、なんか気に入られたようで
食べ終わる頃には犬の席に女将さん移動して身の上話が始まった。
3,4歳で両親が他界。
親戚の家に預けられ、差別やいじめを受ける。
いつも裸足。
弁当も作ってもらえず、昼は水を飲んでいた。
みかねた教師がときどきコッペパンをくれた。
15のときには「逃げるしかない」と思い詰め、兄のいる東京に
出ることを考えた。
親切な駅員が切符を買ってくれて、ひとり東京へ。
顔も覚えていない兄を探し出すと、とび職についていた。
現場を手伝うがいつまでもいられないので
電信柱の張り紙を見て住み込みの仕事を探した。
「私の人生、『おしん』なんてもんじゃないわよ」と女将さん。
町中華云々ではなく、女一代記として貴重な話である。
さらに詳細を聞くべく再訪を約束した。
いつかどこかで女将さんの話を書く機会があるかもしれない。
皆で食事するのもいいけれど、ひとりだとこういう展開もあるのだな。


桜が満開だった。            喫茶『えんどう豆』でまったり。

ABOUT ME
北尾トロ
北尾トロ(きたお・とろ) 1958年、福岡県生まれ。法政大学卒業。裁判傍聴、古書店、狩猟など、体験をベースに執筆するライター。『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』『猟師になりたい!』シリーズなど著書多数。長野県松本市在住。