江戸の西の方の店(飯能市「林道」)

町中華を訪ねる際、とても気になってしまうのがお店の名前・屋号ですよね。

「平和軒」「みつる屋」「山水楼」「美華飯店」「上海亭」のように、いわゆる「屋号」の定型に忠実な名前。

それから、町中華に特有なのが「五十番」「百番」「一番」といったナンバー系。何故「番」なのかというそもそもの由来は謎のようです。

あるいは「宝来」「栄楽」「珍来」のように、漢字の組み合わせがなんとなく中国っぽい屋号。

さらには、「二葉」「日の出」「こばやし」のようにフリースタイル系の屋号もたくさんありますね。この系統には「七面鳥」や「エーワン」のように変わった店名もあります。

寒さが緩んで散歩日和となった2月20日、私は「中華料理屋にしては変わった名前の店」を求め、埼玉県の入間市と飯能市の市境にある西武池袋線の元加治駅に降り立ちました。

改札前に大きめの八百屋さんがあり、あとは数軒の飲食店がある他は何もない印象の元加治駅。ここから西へ500メートルほどの場所には「徳栄飯店」という地元で評判が良いらしい人気店があるのですが、今回の目的地はそちらではありません。駅から1kmほど北上しなければなりません。

駅前からいきなり始まる、曲がりくねって所々に小川の流れる住宅街の細い道をひたすら北へと歩き、東西に走る国道299号線を越えてさらに北へと歩くと・・・

ありました!!「林道」です。

(看板の書体が素敵)

「林道」。
言葉としては別に変ではありませんし、お店の名前としても、たとえば古い喫茶店とかだったらそれほどの違和感もないのですが、中華料理店の屋号としてはやっぱりちょっと変わっています。・・・もしかして店主がバイクとかジープで林道を攻めるのが好きなんだろうか?出前もスーパーカブではなくオフロードバイクとか???

いや、そんなわけはないだろうけど、やはり屋号の由来は気になるところ。これは是非、由来を尋ねてみなくてはなりません!そのために、わざわざ1時間以上もかけて私はこの場所にやってきたのです。

(ちょっと喫茶店っぽい店構え)

中の様子が全く見えず、初めての客には入りにくい雰囲気のドアを開けると、そこには赤いカウンター、その向こうには調理場。反対側には小上がり。小さいお店ですが(カウンター6席)、町中華としての舞台装置はしっかりと整っています。
カウンターの向こうで迎えてくれたのは、それほどの歳には見えず、愛想が良くて魅力的な女性です。

カレーライスやカツ丼などもあるメニューは全体的に激安で、ラーメンは400円。しばし迷ったのですが、各店の広東麺写真をコレクションしている私としては、やっぱり広東麺(600円)を注文いたしました。

開けっぴろげでそれほど広くないキッチンなので、カウンターに座っていると調理している様子が丸見えなのですが、冷蔵庫から出した野菜や肉をトントンと刻み、それを丁寧にジャージャーと炒め、実にきちんと料理しています。安いからと言って「業務用食材をあっためてぶち込んで終わり」などでは決してない。素晴らしいことです。

やがて出て来た広東麺は、片栗粉を多量に使った「広東麺の鑑」のようなドロリとしたあんかけっぷり!良いですねー。

(これで600円は安い)

さて。
エビとかウズラ卵とかは入っていないけど、普通においしい(←これ重要)広東麺を味わいながら店内を見回してみたのですが、はて?どこにも林道に関連した写真や出版物などは見当たりません。1984年に書かれた有名人のサイン色紙(1枚は嵐山光三郎氏。もう2枚は判読できず)ならば壁に貼ってあるのですが・・・そうだ!店名の由来を訊いてみなければ!

「ここ、中華料理屋さんにしては珍しい名前ですよね。どうして『林道』なんですか?」

・・・するとおばちゃん、笑いながら

「ああ、ここに越して来た時ね、飯能のことを全然知らなかったの。で、このへんって○○製材所なんかもあって製材が盛んでしょ。だから飯能に関係ある名前ってことで『林道』にしたんですよ」

・・・と。

つまり、ここ飯能に新しくお店を開店するにあたり(練馬から越して来たそうです)、地域の特色を反映させた名前にしたかった。しかしながら飯能という土地のことをよく知らなかった。そこで、現地で盛んな林業・製材業にちなんで「林道」と名付けた・・・ということのようです。素晴らしい。おばちゃんは「そんな理由でがっかりさせちゃったんじゃないですか?」と笑っていましたが、いやいやとんでもない!私が聞きたかったのはそういう話なのですよ!

(手抜きなし!おいしい)

江戸時代から飯能はスギ・ヒノキの産地として有名な林業王国。その材木は筏に乗って入間川や高麗川を経由し、荒川を通って江戸まで運ばれたそうです。そのため「江戸の西の方の川から来た木材」ということで「西川材」と呼ばれ、江戸の大火や関東大震災、戦後の復興などの需要がある度に大量の木材を首都圏に供給し、かつては大変な繁栄を誇った地域です。昭和30年代には「飯能駅(元加治の隣)周辺はほとんど材木屋だった」とか。

しかしながら近年、日本の林業は輸入材に押されて衰退の一途。飯能も例外ではありません。造成林は放置されて荒廃が進み、後継者不足に悩み、西川林業地は危機的な状況だとのこと。ですので、「林道」が開店した当時(昭和何年かは聞き忘れましたが、上記のサイン色紙に鑑みて1984年以前であることは確かです)、飯能の林業は衰退に向かっていたと見るほうが正しいのかもしれません。

・・・なんだか町中華の現状と通ずるところがあるような話ですが、かつて繁栄していた林業・製材業から取った屋号を名乗り、丁寧で良心的な中華料理を供する「林道」に関してはまだまだ大丈夫!おばちゃんはお元気そうですし、これからも安くておいしい広東麺を作ってくれることと思います。